takeshiの街道を歩く カメラのイラスト

中山道六十九次(日本橋~草津宿)  
 34.贄川宿~奈良井宿(1) 平成29年10月6日 
 贄川宿の深澤家住宅を過ぎると、宿場の道は桝形となり、中央本線の高架橋を渡ると、国道19号に突き当たるが、対面に「中山道 トチの木入口」と書かれた標識が立っている。標識に従い、左折して国道19号に入ると、すぐに「長野県天然記念物 贄川のトチ」の看板が目にとまり、右に入る小道を進む。右側に住宅が建つ小道を登って行くと、斜面の途中に推定樹齢1000年といわれるトチの木(写真261)がこぶこぶの太い幹を露わにして、平安時代から生き続けてきた生命力を実感する。樹高33メートル、根元周囲17.6メートルもある巨木の根元には御神木でもあるかの如く賽銭箱が置かれいる。

 国道19号に戻り約500メートルほど歩いて行くと、木曽路民芸館の駐車場に建てられた電光掲示板に気温13℃と表示されているが、歩いているぶんには寒くもなく、汗もかかない快適な気温である。木曽路民芸館を過ぎて国道脇のグレーチングを敷いた仮設の歩道を登っていき、土道につながるのが旧道である。すぐに旧道は舗装された道となり、中仙道と刻まれた石碑徳本の六文字称名塔などの石塔群を見ながら進むと、国道19号の桃岡交差点の手前に、江戸から63番目の押込の一里塚跡(写真262)がある。児童公園の一画に松が植えられた低い塚が復元されているが、押込一里塚は鉄道と国道19号線の敷設によって取り壊され、その面影をまったく留めていない。

 国道19号に合流し、奈良井川桃岡橋で渡り、中央本線のガード下を潜ってすぐに旧道は左に分岐する。旧道は700メートルほどで国道19号に合流し、左を走る中央本線と右を流れる奈良井川に挟まれて進む。「木曽くらしの工芸館」「木曽漆器の街平沢」と書かれた案内板が路上に掲げられ、木曽は木材だけではなく、漆器の生産も盛んなことを知る。路傍にススキも穂を出して秋の気配を感じさせる国道19号から右に分岐して、平沢北交差点旧道は緩い上りの県道257号に入る。この辺りから漆器作りを生業とする工房が集まる平沢の街に入り、中部北陸自然歩道の道標に従い、旧道は塩尻市役所支所の敷地から中山道の石垣の一部が残る諏訪神社前を抜けて進む。すぐに県道に合流すると、緩やかに蛇行する道の両側には漆器店漆器工房が軒を連ね、平沢が漆器の街(写真263)であることがわかる。街並みは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、近世後期の町割りを今に伝えている。建物は中二階建てあるいは二階建ての切妻屋根で、間口3間を標準とする平入の造りとなっている。しかも、寛延2年(1749年)の大火の経験を踏まえて、主建屋を道に対して斜めに配置することで、アガモチ(所有はあくまで私のもの「吾持」という意味か?)という若干の空き地を取っている。アガモチを設けることで、緩やかに蛇行する道に沿った町並みをゆとりのある空間としている。

 平沢は西の奈良井宿から分出した枝郷(えだごう)で、近世(定義はいくつかあるようであるが、安土桃山時代から江戸時代という説がある)前期には「木曽物」として知られた木曽の漆器はほとんどが奈良井宿で生産されていたが、後期になると「平沢の塗物」の名で流通するようになり、現在においても日本有数の漆器の産地としてその名を全国に轟かせているという。
 街の家々は伝統を守って今も手入れが行われているように見受けられ、街のはずれ近くに、母屋土蔵国の有形文化財に登録されている漆工房巣山(写真264)が建っている。

写真261 トチの木

写真262 押込一里塚跡
 
写真263 平沢 家並み

写真264 平沢 漆工房巣山 

贄川宿から奈良井宿までの徒歩ルート(7.7km)https://www.navitime.co.jp/coursebuilder/course/GagDB7AoCycONwsflwHLRFWOQ5deBCeP

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